スクリーンの二輪 第2回:『あいつとララバイ』論——眠らない16歳と深夜の湾岸
80年代のバイクブームの熱を封じ込めた楠みちはるの代表作を、批評の言葉で読み直す。少年とZの物語がなぜ40年後も読者を眠らせないのか。創刊号で予告した、僕の原点の作品論。
この記事の注目ポイント
- 『あいつとララバイ』はバイクを単なる小道具ではなく、若者の自由と友情を映す「相棒」として描いた。
- 1980年代の湾岸文化と作品のカワサキ像を重ねると、漫画が現実の旧車人気へ与えた影響を読み解ける。
約束どおり、今回は『あいつとララバイ』の話をする。創刊号で書いたように、僕がバイクを知る前にバイクを愛するきっかけになった作品だ。だからこの回は、どうしても私情が入る。それでも批評の言葉で書くと決めたのは、この作品が思い出補正ぬきで、バイク漫画の歴史における特異点だからだ。楠みちはるが描いたこの物語は、1980年代——日本のバイクブームがもっとも熱かった時代に連載され、深夜の湾岸を走る少年とカワサキのZの日々を描いた。あの時代の空気を、これほど濃く封じ込めた作品を僕は他に知らない。
この作品の何が特異だったのか。第一に、バイクの描き方だ。多くの作品でバイクは主人公の「持ち物」あるいは「能力の延長」として描かれる。だが『あいつとララバイ』のZは違う。あれは登場人物なんだ。主人公・研二にとってZは移動手段でも速さの道具でもなく、対話し、無茶を聞いてもらい、時に守られる相棒として描かれる。タイトルの「あいつ」がバイクを指して読めてしまう構造そのものが、この作品の発明だった。バイク乗りが自分の車両に注ぐ、あの説明しがたい情——機械を「こいつ」と呼んでしまう心理を、物語の骨格に据えた最初期の作品だと僕は位置づけている。
第二に、時代との共鳴だ。80年代のバイクブームは、単なる流行ではなく若者文化の主戦場だった。教室の窓の外にある自由の象徴として、バイクは眩しく、同時に危険の匂いをまとっていた。作品はその光と影の両方から目を逸らさなかった。深夜の湾岸という舞台は、管理された昼の世界の外側にある「もうひとつの学校」で、少年たちはそこで速さと引き換えに、責任と喪失を学んでいく。ページをめくる手が止まらなかった16歳の僕が受け取っていたのは、スピードの快感ではなく、たぶんこの「大人になることの予感」だったんだと、38歳になった今ならわかる。スクリーンの中のバイクは、いつも本来の性能以上のものを運ばされている——連載の初回に書いたテーゼの、これが原点だ。
作者の系譜にも触れておかなければフェアじゃないだろう。楠みちはるは本作のあと、深夜の首都高を舞台にしたクルマ漫画の金字塔を打ち立てる。対象は四輪に移っても、機械を「あいつ」と呼び、人と機械の関係を物語の中心に据える文法は一貫していた。そして後年、再び二輪の世界を描く作品群へ戻ってくる。つまりこの作家は、乗り物のジャンルを越えて「人はなぜ速さに魅入られるのか」「機械との対話とは何か」という同じ問いを掘り続けてきたんだ。その原点に位置するのが本作だと考えると、バイク漫画史だけでなく、日本のモータリゼーション文化史の中での座標が見えてくる。80年代のバイクブームが去り、規制と社会の視線が厳しくなった時代にも、この文法は途切れずに継承された。バイクを不良の記号としてではなく、対話の相手として描く語り口があったからこそ、後の時代の作家たちは日常の中のバイクを描く足場を持てたんだと僕は考えている。文化は断絶ではなく、文法の相続で続いていく。その相続の起点を、僕らはリアルタイムで読めた世代なんだ。
そして現実への着地を確かめよう。この作品が後続に与えた影響は計り知れない。バイクを相棒として描く文法は、以後のバイク漫画の標準装備になった。そして現実の側では、作中で少年たちが駆った空冷Zの系譜が、40年を経た今も旧車市場で別格の存在であり続けている。もちろん相場の高騰は複合的な現象だが、あの時代の漫画と映像が「Zに乗る自分」を何十万人の脳裏に刻んだことと無関係だとは、僕にはとても思えない。物語は消費されて終わらず、読者の人生の購買履歴にまで残る。ポップカルチャー批評がバイク経済の話に接続する瞬間だ。次回は、この連載のもう一つの原点——『トップガン』とGPz900Rの話をする。スクリーンが一台のバイクの運命を変えた、あの数十秒について。マーヴェリックと僕の、36年越しの答え合わせだ。
最後に白状すると、この原稿を書くために本作を読み返して、僕はまた朝を迎えてしまった。16歳の夜と同じ場所で、38歳の僕もページをめくる手が止まらなかった。時代を超えて読者の夜を奪う——名作の定義があるとすれば、たぶんそれで十分なんだと思う。スクリーンの中の二輪は、今夜もどこかで誰かの眠りを奪っている。それでいいんだ。今夜も良い読書と、良い夜更かしを。
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